11月の言葉「愛別離苦」



三話 八 苦


愛別離苦—―愛するものと別れる苦しみ



一、八苦とは何か


釈尊・老・病・死する人の在り方に深く悩まれ、

 

この「生老病死」を四苦として大きく問題とし、

 

その解決のために二十九歳のとき出家されました。

 

さらに四苦に、

 

(あい)別離(べつり)()怨憎(おんぞう)会苦(えく)()不得(ふとく)()五蘊(ごうん)(じょう)()(五(おん)盛苦)

 

の四苦を加えたものを八苦といいます。

 

つまり、前の四苦は、

人間の生き物として起こる苦しみであり、

 

   後の四苦は

 

   人間が人間であるために

 味わう苦しみであります。

 


二、愛別離苦—―愛するものと別れる苦しみ


釈尊は、人間関係から起こる苦しみについて、

 

愛別離苦」、

怨憎会苦の二つの事柄によって説かれています。

 

 

まず、「愛別離苦」とは、

 

愛し合う者と 別離しなければならないという苦しみです。

 

 

別離には生き別れと、

死に別れがあります。

 

どちらにしても そのつらさは大変なものです。

 

しかし、人間はきままなもので、

一緒にいる時はそうまで思わなくても、

 

別離して

はじめて相手の本当のよさ、ありがたさに気づいて、

 

別離して日々を重ねるとともに、

ああ、ありがたい人だったなあと気づき、

 

どうして一緒にいる時に

 

もっと大切にしておかなかったんだろうかという

 

後悔で、 苦しむということもあります。

 

 

愛別離苦とは、

(いと)しいものが別離して苦しむことに違いありませんが、

 

別離して

愛しさに目覚めて

苦しむこともあるのでしょう。

 


絶対 に 救えないもの


釈尊は、

人間の力でどうしても救ったりすることのできないものが

 

三つあると教えられました。

 

それは 老いの恐れ 病の恐れ 死の恐れ の 三つだというのです。

 

 

夫や妻が老いるのを、

たがいに身代りになってやることはできない。

 

老いを止めることもできない。

 

病の苦しみを

代わって受けてやることもできない。

 

生身(なまみに 病がなくなることもありえない。

 

死ぬのを

代ってやることもできない。

 

死を さけることもできない。


芥子の実 の 説話

ー 子供の死が悲しくて  受け入れられない ー


裕福な家の若い嫁キサゴータミ―が、

一粒だねの男の子が、幼くして死んだので、

嘆き悲しみ、半狂乱になってしまいました。

 

子供の死を受け入れられない彼女は、

 

医者に

「必要なものは何でも差し上げます。どうぞ、この子を生き返らせる薬を下さい」

と頼みます。

 

医者は「蘇生(そせい)は不可能だ」と説明します。

 

彼女は、もとより医者ほど、死について正確な知識はないが、

死児が蘇生できないことはよくわかっています。

 

自分でわかりきっている解答ほど、

いくら医者から説明されても、

そこは母ごころ、

心の底までは納得しにくいものです。

 

わかっていて、実はわからないから 苦しいのです。


彼女は、次に哲学者を訪ねます。

 

学者は

「よく聞きなさい。

 人は生まれ、そして死ぬ存在だ。

 大王でも大富豪でも、この法則から逃れられないのだ」と説きます。

 

それも彼女は百も承知です。

 

承知していて、しかも承知できないから 悲しいのです。


彼女は、人にすすめられて釈尊のところへ行き、助けを乞いました。

 

彼女の愚痴に近い 素朴な嘆きの訴え に対して、

 

釈尊一言の説法もしません。

 

 

ただ、半狂乱の彼女の様子を見て、

すぐ子供が死んだことを告げるのではなく、

 

まず、彼女の苦しみに寄りそって、

 

その子の病気を治すためには、

 

町に出て、どの家でもいいから、

 

芥子の実を一粒もらっておいで」と言ったのです。

 

 

そしてその芥子の実は、まだ一度も死者を出したことのない家に限るのだよ」

 

という条件をつけました。



インドでは、芥子の実を食材としてよく用いるので、

ふつうの家にもありました。

 

彼女は、一軒一軒尋ね回り

芥子の実をもらおうとしたが、

 

死者の出ていない家

探してもありませんでした。


釈尊は、

この世に死者の出なかったという家は、

 

どこを探してもない。

 

芥子の実は たやすく得られるが、

 

死者のない家は

 

いつまで探しても 探しだすことはできないよ」と教えられました。


彼女は、釈尊の言葉の意味を悟り、

 

我が子の死を受け入れました。

 

では、いったい彼女は何に気づき、

 

子供の死を受け入れることができたのでしょうか。

 

 

まず、一度も死者の出ていない家など、

町中のどこにもあるはずがない。

 

つまり、どの家でも肉親を失った経験があるということです。

 

 

どの家でも、家族との別離の悲しみを味わっているのです。

 

彼女だけが特別なのではありません。

 

 

そして、

人の一生には終りが必ずあるということです。

 

 

たしかに 幼くして死ぬことは 不幸で悲しいことです。

 

でも、死んだ者を取り返すことはできません。

 

どんなに悲しくても、

それを受け入れなくてはならないのです。

 

 

そう気づいたときに、

 

彼女は正気に返ったのです。


彼女は、我が子の死を認め、墓に(ほうむ)りました。

 

悲しみが()えたからではありません。

 

死別の苦しみ

自分だけのものでなく、

 

万人に訪れるものであること、

 

そして

誰もが 死をまぬがれることはできない

と悟ったからです。


自分と 我が子しか

 

見えていなかった彼女の眼に、

 

他の人の苦しみも

 

見えるようになったのです。

 

  そして彼女は

 

自分と人の苦しみ を救うために、

 

  さらに 釈尊の教えを学ぼうと思い、

 

仏弟子になりました。

 

 


気くばり


気くばり御縁のある尼僧が、神戸淡路大震災の時、

 

親兄弟を亡くした人に

 「諸行は無常です」といったところ、

  何と(ひど)いことを言うのか となじられたとのこと。

 

  後日、尼僧は 私どもに「でも、その通りでしょ」といわれました。

 

  たしかに人のいのちは無常です。

 

  老いも、病も、死も、絶対に避けられないもの、

 

   代りに受けてやることができないもの、

  その苦しみから 絶対に救われないものです。

 

   この事実をありのままに受けとめ、

   みつめて生きていかなければ、

   苦しみから逃れるすべはない――その通りです。

 

   ですが、

   ひどい苦しみ悲しみに打ちひしがれ絶望している人に、

 

    いくら無常の道理を説いても役に立ちません。

 

   そのような時は、

   そっとその人に寄りそい、

   支えてあげる気くばりが大切です。

 

     気くばりとは、

    他人への思いやり

   心づかいといってもよいでしょう。


 鎌倉時代の臨済僧、無住一円禅師の著書『(しゃ)石集(せきしゅう)』の巻第三にある

説話を略述して紹介します。

 

  厳融房という僧侶の妹で 在家に(とつ)いでいる人が、

  最愛の子供を失って、

  あまり嘆き悲しむので、

 

   ある人が厳融房に

   見舞いに行くようにすすめますと、

 

    厳融房は

  「私の妹で、愛別離苦も、無常の道理も心得ているはずだからと言って、

いっかな腰を上げません。

 

ようやく妹の所に行き、

愛別離苦と無常の道理について説教致しますと、

 

妹は「その道理はよくわかっています。

しかし、わかっていますが、実践することは困難です。

 

それも身を分けた子を亡くして、嘆いたといって、 

責め立てる兄さんは、

自分のことだけがわかって、

人の心を理解できない人です。

 

それでは 仏法を学んだ人とはいえないでしょう」と切り返しました。

 

厳融房は 返す言葉もなかったということです。


この話の裏書き


釈尊涅槃図:野生司香雪画伯


この話の裏書きには、

釈尊が亡くなった後、

 

釈尊十大弟子の一人、

阿難尊者(アーナンダ)は、

悲しくて、祇園精舎で泣き暮らしていました。

 

そこへ善思菩薩が現れて

阿難は三蔵(さんぞう)の法門を極め、

世間の人々は仏のように思っているのに、

無常の道理がわからず、

凡夫のように泣くのはおかしい」と諭しました。

 

   阿難

「二十五年の間、身辺(しんぺん)を離れず仕えた尊師を失った悲しみは、

凡夫とかわらない。

 

   ただ、

それが 自分の修行 や 悟りの根幹をゆるがすものにはならない

 

と答え 声をあげて泣くと、

 

善思菩薩も同じく泣いたとのことです。

 

   善思菩薩と阿難が、手をとり合って泣いている姿は、

 

   それこそ 人間そのものの感情の発露です。


人は嬉しい時は喜び、

 

悲しい時は泣く、

 

人間の素直な本性をむき出して生きる。

 

 自分の心を飾ることはない。

 

ただ、問題は、

 

いつまでも、そのことに(とら)われないことです。 

   


*『四苦八苦』(その七)

 

 

—―『三話・八苦』「三、怨憎会苦」に」つづく――


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円