12月の言葉「おかげさま」



おかげさま(御蔭様)



—――「おかげさまで‐‐‐」「おかげさまをもちまして‐‐‐」とか、

 

おかげさまでありがとうございます」という言葉を日常あたりまえにつかわれていますが、

 

 

おかげ」とはどんなことを意味するのでしょうか。

 

かげ」といえば、これが実質となるものは何か。

 

すなわち「だれ」のおかげか。

 

 

」のおかげか。


そして、この実質が、

 

この人に対して、表像(ひょうしょう)たる「影像(えいぞう)」によって、

 

いかなる「」を与えたか。

 

このように尋ねて行くと、

 

まだ さきざきに種々の問題が出てくるので、

 

ここではこれで打ち切って、

 

一口で、この「かげ」の名で通っている、

 

その背後にある「実質」を何かというと、

 

究極のところは「自然」に行き着きます。


 私たちは、無意識ながらに、

 

(みずか)らを自然に容れています。

 

人間の知恵では計り知れない霊妙不可思議な力を持っている「自然」、

 

これがあるから私たちは、いずれも「今日」あるのです。

 


  私たちは、自分の背後にある「自然の力」「自然のおかげ」、

 

その中には、

 

相手の友達、その他の人間や、ご先祖さま、お父さまお母さま、兄弟姉妹、夫や妻、子供は言うに及ばず、

 

天地の間に存在する現在、過去、未来の一切のものを含めて、

 

それらの「」に加護されて、自分だけでない、自分と人ともどもに、

 

いずれもいずれも今日の生命(いのち)を続けて行けるのです。

 

 


単に「おかげ」といって、

 

の、またはの「おかげ」ともいわぬところに、

 

いかにも それぞれの「力」に働きかけられている、

 

人間生活の真実相(一切のありのままの真実のすがた)が うかがい知られます。

 

 

ただ「おかげさまで‐‐‐」というところに無限の意義があり、

 

言うに言われぬ「ありがたさ」がかくされています。

 

 

私たちは普通に何の気なしに「おかげさま」をよくつかいますが、

 

この日本人の心理のうちにあるもの、

 

そして日本人が無意識にすましているもの、

 

この「おかげさま」をあらためて意識の表面に出して来て、再認識したものです。

 

  また「おかげさま」のうちにある「ありがたさ」も忘れないようにしたものです。

 


 日本人の何気無(なにげな)い「おかげさま」「ありがたい」の言葉には、

 

自分の背後にある「自然の力」を感得し、

 

自然の恵みに感謝し、霊妙不可思議自然の理法に随って生活を(いとな)む。

 

明白に意識の表面に出て来なくても、

 

知らず知らずのうちに、

   

  この感覚を、私たち日本人はいずれも持っています。


現代人の不幸は、

 

目に見えない、

 

背後の力、背後の大悲を、

 

見失ったことにある。


日本人の心情に、

 

仏法の縁起思想

 

(あらゆる存在は すべて何かの因縁によって生じ滅するものである。

 

 そこには自己独存的な存在は まったくありえない)が融合して、

 

物事のを大切にして、

 

その因縁の「ありがたさ」に感謝し、

 

お互いにかかわり合って 共に生きて行こう という心のはたらきが、

 

おかげさま」の挨拶の裏にある。

 

 

   無意識中の会釈であるが、

 

   その底にある 深いものを 忘れず大切にして行きたいものです。

 

 


ありがとう


―――日本人が感謝とお礼の言葉を表すことばに「ありがとう」があります。

 

漢字で書くと、「難有」で「有り難し」と読みます。

 

 

()ること(存在)が(むずか)しいということで、存在の(まれ)なることをいい、

 

その存在しにくいことが存在しているのだから、

 

そうした有り難い、難しいことに「」あって、

 

たまたま 自分にそれがめぐってきたことは、

 

ありがたく、もったいなく、恐れ多くかたじけないのです。

 

 

そのような 実際に存在し難い稀なものごとを

 

素直に喜び合う気持が「ありがとう」という 感謝の言葉を生んだのです。

 


この「有り難し」の語は、仏教語です。


この「有り難し」の語は、仏教語です。

 

出典は『法句経』

 

人の生をうくるはかたく

 

 やがて死すべきものの

 

いま生命あるは有り難し

 

と、いわれています。


人と生まれた生命の驚き、尊さを教える仏説です。

 

 

だから「有り難し」とは、

 

あって 仏説を聞き、

 

人の生命の尊さに 自覚めた、

 

大いなる感動を表わす言葉でもあります。

 

 

それが、いつしか感謝の意に転用されるようになったのです。

 

私たち先祖の このような心情を想う時、

 

日本語の中でも、

 

特にすぐれた 美しい言葉であると感じます。

 

 

おかげさまで ありがとうございます。


令和 3年 12月 1日              

        自然宗佛國寺 開山  こくけん もくらい 合掌


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円