和顔愛語
和顔愛語の布施
和顔愛語の布施―――『無量寿経』に
「和顔愛語」という布施行の教えがあります。
布施といえば、
金銭または品物を与えることのように思われていますが、
インド語でダーナーと言い、
何か心のこもったものを人に与えることをいいます。
他人へのやさしい気配りや愛情も布施です。
ダーナーを音写したのが
「旦那、檀那」で、
つまり、布施する人の意です。
仏法では、
それを七種類あげています。
これを無財の七施といっています。
お金がなくてもできる七種類の布施です。
無財の七施とは
「眼施・和顔悦色施・名言辞施・身施・心施・床座施・房舎施」の七つの無財施です。
簡単に言いかえると、
「やさしいまなざし・和らいだ笑顔・やさしくいたわりのある言葉・労働奉仕・
思いやりの心・座席を与える(現代なら電車の中で席を譲るのもこれにあたる)・
自宅に招じいれて歓待し、あるいは泊めてあげる」という
お金がなくともできる布施行です
近年、世の中に物は満ちあふれていますが、
それに反して 人の心の貧しさが とても強く感じられます。
世間は殺伐として、
人の心は ぎすぎすしています。
こんな世の中で、
いちばん必要で、誰にでもすぐできる仏道修行が「和顔愛語」です。
これは「和顔」(和らいだ笑顔)で人に接し、
「愛語」(やさしくいたわりのある言葉)を人にかけることです。
和 顔
まず「和顔」とは、
無財の七施で 説かれている「和顔悦色施」にあたります。
柔和な笑顔と悦びの顔色 を 絶やさないことです。
仏頂面をされると、周囲の人の気持も不愉快になります。
ほほえましい顔、やわらいだ顔、おだやかな顔、慈しみのある顔で 人に接する。
人の身体で、顔というのは実に大切な箇所で、
抽象的に使われても、
例えば、
顔が合わせられない、顔から火が出る、顔に泥を塗る、顔に紅葉を散らす、顔を貸す、顔を立てるなど、
顔は その人を代表するものといえます。
ほほえましい顔は、
どんな時でも、
人の心を和やかにする、こよなき贈り物です。
愛 語
次に「愛語」とは、
無財の七施 に説かれている「名言辞施」で、
思いやりのこもった あたたかい言葉 で話しかける。
これが愛語にあたります。
心のこもった言葉ほど
人を喜ばせ 楽しませるものはありません。
苦しんでいる時、病気の時、悩んでいる時、孤独で淋しい時など、
この上もない贈り物です。
失敗した時、
やさしい言葉でなぐさめられると、
二度と繰り返すまいと勇気百倍にしますが、
けんもほろろに 罵倒されたりすると反感を起こします。
私たちは、つい、心のいらいら、くよくよ を 顔や言葉に表してしまい、
まわりの人 に 当ったりします。
あるいは苦しんでいたり、悲しんでいる人を見ても、
いたわりの言葉をかけずに、無言でいたりすることがあります。
近頃、家族の間 の 挨拶もない家庭 が 増えていると聞きます。
実は日常生活の中で、私たちが何気なくかけている言葉が、
何よりの贈り物になる、
ということに 気がつく必要があるでしょう。
例えば、
「おはようございます」「さようなら」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみなさい」
といった 挨拶の言葉 はもちろんのこと、
真心を込めて、
「おかげさまで」「ありがとうございます」「ご苦労さまでした」「どうしました」
「お大事に」「どうぞ」「すみません」といった言葉が、
どんなに相手を喜ばせることができるかは、
かけられた側の立場に立ってみれば よくわかるはずです。
こういった言葉のほかにも、
「いただきます」
「ごちそうさまでした」
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい」
「行ってらっしゃい」
「気をつけて」などなどの言葉も、
まことにありがたい言葉の贈り物なのです。
現代の社会の中では、つい忘れがちになっている、
こういった思いやりの言葉を お互いに交し合うようになれば、
どんなにか 社会がおだやかになり、
それぞれの生きる道も 明るくなるにちがいがありません。
道 元 禅 師 は、
愛語には、
すべてを一変させる力があると、
次のようにいっています。
愛語は愛心より起る、愛心は慈悲の心を種子とせり、
愛語には 廻天の力があることを学ぶべきである。
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日に掲載。
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感謝合掌 住持職:釈 妙円