10月の言葉「和顔愛語」



和顔愛語



和顔愛語の布施


和顔愛語の布施―――『無量寿経』に

 

和顔愛語」という布施行の教えがあります。

 


布施といえば、

 

金銭または品物を与えることのように思われていますが、

 

インド語でダーナーと言い、

 

何か心のこもったものを人に与えることをいいます。

 

 

他人へのやさしい気配り愛情も布施です。

 

ダーナーを音写したのが

 

「旦那、檀那」で、

 

つまり、布施する人の意です。


仏法では、

それを七種類あげています。

 

これを無財(むざい)七施(しちせ)といっています。

 

お金がなくてもできる七種類の布施です。

 

無財の七施とは

 

眼施(げんせ)和顔悦色施(わげんえつじきせ)名言辞施(みょうごんじせ)身施(しんせ)心施(しんせ)床座施(しょうざせ)房舎施(ぼうしゃせ)七つの無財施(むざいせ)です。

 

簡単に言いかえると、

 

やさしいまなざし・(やわ)らいだ笑顔(えがお)・やさしくいたわりのある言葉・労働奉仕・

 

 思いやりの心・座席を与える(現代なら電車の中で席を譲るのもこれにあたる)・

 

自宅に招じいれて歓待し、あるいは泊めてあげる」という

 

お金がなくともできる布施行です


近年、世の中に物は満ちあふれていますが、

 

それに反して 人の心の貧しさが とても強く感じられます。

 

世間は殺伐(さつばつ)として、

 

人の心は ぎすぎすしています。

 

こんな世の中で、

 

いちばん必要で、誰にでもすぐできる仏道修行和顔愛語です。

 

 

これは和顔(和らいだ笑顔)で人に接し、

 

愛語(やさしくいたわりのある言葉)を人にかけることです。



和 顔


まず和顔とは、

 

無財の七施で 説かれている和顔悦色施にあたります。

 

柔和(にゅうわ)な笑顔と悦びの顔色 を 絶やさないことです。

 

 

仏頂面をされると、周囲の人の気持も不愉快になります。

 

 

ほほえましい顔、やわらいだ顔、おだやかな顔、慈しみのある顔で 人に接する。

 

 

人の身体で、というのは実に大切な箇所(かしょ)で、

 

抽象的に使われても、

 

例えば、

 

顔が合わせられない、顔から火が出る、顔に泥を塗る、顔に紅葉(もみじ)を散らす、顔を貸す、顔を立てるなど、

 

は その人を代表するものといえます。

 

ほほえましい顔は、

 

どんな時でも、

 

人の心を(なご)やかにする、こよなき贈り物です。

 

 


愛 語


次に愛語」とは、

 

無財の七施 に説かれている「名言辞施」で、

 

思いやりのこもった あたたかい言葉 で話しかける。

 

これが愛語にあたります。

 

 

心のこもった言葉ほど

 

人を喜ばせ 楽しませるものはありません。

 

 

苦しんでいる時、病気の時、悩んでいる時、孤独で淋しい時など、

 

この上もない贈り物です。

 

 

失敗した時、

 

やさしい言葉でなぐさめられると、

 

二度と繰り返すまいと勇気百倍にしますが、

 

 けんもほろろに 罵倒されたりすると反感を起こします。



私たちは、つい、心のいらいら、くよくよ を 顔や言葉に表してしまい、

 

まわりの人 に 当ったりします。

 

 

あるいは苦しんでいたり、悲しんでいる人を見ても、

 

いたわりの言葉をかけずに、無言でいたりすることがあります。

 

 

近頃、家族の間 の 挨拶もない家庭 が 増えていると聞きます。

 

実は日常生活の中で、私たちが何気(なにげ)なくかけている言葉が、

 

何よりの贈り物になる、

 

ということに 気がつく必要があるでしょう。

 

例えば、

 

おはようございます」「さようなら」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみなさい」

 

といった 挨拶の言葉 はもちろんのこと、


真心を込めて

 

「おかげさまで」「ありがとうございます」「ご苦労さまでした」「どうしました」

 

「お大事に」「どうぞ」「すみません」といった言葉が、

 

どんなに相手を喜ばせることができるかは、

 

かけられた側の立場に立ってみれば よくわかるはずです。

 

 

こういった言葉のほかにも、

 

「いただきます」

 

「ごちそうさまでした」

 

「ただいま帰りました」

 

「お帰りなさい」 

 

()ってらっしゃい」

 

「気をつけて」などなどの言葉も、

 

まことにありがたい言葉の贈り物なのです。

 

 


現代の社会の中では、つい忘れがちになっている、

 

こういった思いやりの言葉を お互いに交し合うようになれば、

 

どんなにか 社会がおだやかになり、

 

それぞれの生きる道明るくなるにちがいがありません。

 


道 元 禅 師 は、

 

愛語には、

 

すべてを一変させる力があると、

 

次のようにいっています。

 

 

愛語は愛心より起る、愛心は慈悲の心を種子とせり、

 

愛語には 廻天の力があることを学ぶべきである。


令和 3年 10月 1日              

        自然宗佛國寺 開山  こくけん もくらい 合掌


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円