4月の言葉「精進」



精 進(しょうじん)



精進という言葉は、

 

日常語として、二つの意味で用いられています。

 

 

手紙に「ご精進のほどお祈り申し上げます」と書いてあれば、

 

精進

 

「一心につとめ励むこと」を意味します。

 



また、禅寺で出される「精進料理」は、

 

修行僧が、日頃質素な食事しか食べないので、

 

 

魚鳥獣の肉類を用いず、

 

野菜類・穀類・海藻類の材料で

 

栄養豊富な料理を作ったのを精進料理と言ったのです。

 

 

修行僧の健康増進を考えた料理のことです。

 

 

この場合の精進「菜食」の意です。

 

では、どうして二つの意味が生じたのでしょうか。

 


精進は 仏法用語で


精進は仏法用語で「努力」という意味です。

 

 

精進努力は、

 

仏法(釈尊の人間教育学)が 出発点からかかげている

 

実践徳目である八正道(八つの正しい実践)に

 

正しい努力という意味の正精進しょうしょうじんの教えがあります。

 

 

この教えは、善の理想に向かって

 

勇気をもって実践邁進するということです。

 

 

精進の反対は 懈怠げたい(なまけ)といわれ、

 

これは善の理想に向かって進むことを 怠けることです。

 


仏法では


釈尊が「八正道」を初めて説いた地サルナート/インド)


 

仏法では、

 

精進努力の在り方について 四つの面から考察しています。

 

 

四つとは、

 

第一には、すでに存在するは、これを除くように努力する。

 

第二は、いまだ存在しないは 今後も絶対に生じないように努力する。

 

第三には、いまだ存在しないは、これを必ず生ぜしめるように努力する。

 

第四には、すでに存在するは これをますます増大させるように努力する

 

ことをいいます。

 

 

このように四つ精進努力をつづけさえすれば、

 

怠け心は 自然に淘汰されては必ず滅徐され、

 

は 必然的に増進して、

その人は 必ず善人と成ることが出来るという教えです。

 


個人についてだけでなく


 

これは個人についてだけでなく、

 

家庭についても、

 

会社や学校についても、

 

地域共同体 や 国家についてもいえることです。

 

 

ここにとは 理想に対してマイナスになるすべてのことであり、

 

とは 理想に対するプラスになることです。

 

 

理想には

 

政治・経済的の面もあり、

 

倫理道徳や宗教の面もあり、

 

美的な芸術感情の面もあり、

 

肉体の健康の面もあります。

 

 


倫理道徳についてだけではなく


故に、ここでは狭義の倫理道徳についてだけではなく、

 

上にあげたような

 

社会人生のあらゆる方面について をながめ、

 

そのすべての面で

 

理想にかなったプラスの善へと精進努力していくことをいいます。

 

 

このように精進は、

 

心を励まして善の理想に向かって 勇敢に立ち向かって行く

 

正しい努力を意味しています。

 


日本では


日本では、

 

これに新しい意味が加わりました。

 

 

日本には、

 

仏法が伝わる以前から、

 

神事に仕えるものが、

 

身心を清め、 禁忌をおかさないようにつとめる潔斎けっさいが行われていました。

 

 

また、仏道を修行する者も、

 

身心を清める意味で、肉食や臭みのある食物を遠ざけ、沐浴していました。

 

 

そこで、一心に仏道に励み行う精進と、

 

けがれをのぞきさる「潔斎」とが結びついて、

 

精進潔斎といわれるようになりました。

 


こうして 潔斎の意味が 精進にも入り込み、

 

精進というだけでも、

 

魚鳥獣の肉を断ち 身をつつしむことを意味するようになりました。

 

 

そして、菜食の精進料理は、派生した意味ということができます。

 

 

また、現在使われている「励む」の意味の精進は、

 

仏法語本来の意味が そのまま生きているのです。

 


怠けない


怠けない―――いくら豊かな才能があっても、(みが)かなければ光りません。

 

 

ところが、少しの才能を大事にし、怠けず、精を出して努力を続けると

 

(ちり)()もれば(やま)となるのたとえと同じで、やがて大きく花開きます。

 

 

才能を 鼻にかけて努力怠った人よりも

 

こつこつと努力を続けた人が

 

成功を収めた例は、過去も現在も枚挙のいとまがありません。

 


 

今、為すべきことを

 

怠けて、おろそかにしない。

 


令和 3年 4月 1日              

        自然宗佛國寺 開山  こくけん もくらい 合掌


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円