11月の言葉(玄関)




 (げん)  (かん)


「玄関」(げんかん)というと、

 現在では 家の入口としか認識されていませんが、

 

実は 深い意味があります。

 

玄関の「玄」は、言葉を超えた永遠の真理

 

また、奥深く深遠なこと―――という意味を持っています。

 

 

「関」関門

 

 

通過しがたい 関所

 

また 険所の意味で 

 

必ず通り抜けなければならないが、

 

無条件には 通過できない所 という意味を持っています。


玄関妙の道に入る門」が原義で、

 

仏法の奥義を指す。

 

それへの入口。

 

奥深い禅門への入門を意味する禅宗用語です。


人生 の 関門


  人生の関門―――人生には、容易に越されない関門があり、

 

どうしても避けて通れないものです。

 

では、人生の関門に立った時、

 

ともかく、

 

一切を、捨てて捨てて捨て切る。

 

即ち、

 

大死一番、勇猛心を奮い起こして、

 

これと対決することが 肝要だと教えています。

 

 

人間は、この人生の関門があることによって、

 

真の人間が形成され、人間として大きく成長していくわけです。

 

 

ですから、人生における関門は、

 

人間形成に 欠くことのできないものであるといえます。

 


私たちは関門にさしかかるたびに、

 

この「玄関」(玄妙の道に入る関門)の二字のを感じ取り、

 

いかなる困難にもくじけず、苦しい関所を突破すれば

 

「南北東西活路に通ず」というような、四通八達、自由自在の境地が得られ、

 

その先には 自由な別天地が開けてきます。

 

私たちの人生には、いくつもの「関」――通過しがたい関所、難路があり、

 

日常生活もたえず前方に立ち塞がる関門を一つ一つ乗り越えて生きているのです。

 

人生は「関」そのものであるといえます。


生死事大、無常迅速


  生死(しょうじ)事大(じだい)無常(むじょう)迅速(じんそく)――生死の問題はきわめて重大である。

 

しかし、時は無常にして迅速に過ぎ去ってしまう。

 

 

生死とは 生老病死の四苦における始めと終り、一生のこと。

 

 

私たち人間が、この世に生命をうけて数十年間、

 

いかに健康であっても、

 

いかに財産や名誉、地位を得ても、

 

また、いかに科学技術や医療が発達しても、

 

止めることのできないものが時間です。


歳月は (こく)一刻と 流れ、

 

一時(いっとき)も 待ってくれません。

 

は 人間の体を老いへと導く。

 

 

やがて 老いの身となり、

 

病気に侵され、

 

人生と別れなければならないときを迎えます。

 

 

「死」――人間としてうまれたものは、

 

誰でも 一度は あわねばならない人生の大問題

 

大関門であります。


生きとし 生けるものは、

みな すべて死なねばならぬ

(釈 尊)

 


 

釈尊は、

 

という冷厳な事実に目をそむけることなく、

 

を凝視し、

 

を出発点として、

 

生命は いとおしいもの であると自覚されました。

 


私たちは、若いころ、健康なときには 生死など眼中になく深く考えませんが、

 

病気にかかり、身近にに直面すると、不安や恐怖心がわいてきます。

 

同時に はじめて生の尊さ を知るようになります。

 

そして、に直面して

 

を恐れ、

 

を望んで 悶え苦しみます。

 


門松は めいどの旅の一里塚

 

馬かごもなく とまりやもなし  (一休禅師)


馬かごやとまりやは、今なら交通機関とホテルや旅館となる。

 

正月の門松を立てるごとに に近づく。

 

乗り物も宿舎も行路標識もない 出の旅路の出発が迫る事実に、

 

昔も 今も 変わりはありません。

 


この一休さんの道歌は、

 

を見つめず、を凝視せぬ人々への 痛烈な警告であると同時に

 

「今を 大切に生きよ」という教えです。

 

 

「人生で一番大切な日はいつか」と聞かれて、

 

さてと首をかしげる人は、

     

   ここで一度立ち止まって、一休さんの道歌を噛み締めて下さい。

 


 人生は、

 

ある意味では、生まれ落ちると、

 

ただひたすら 冥途への旅を 続けていると言えます。

 


  人の生命は、いつ終るか、誰にもわからない。

 

 自分のが  自分のものではない。

 

今日とも 明日とも 知れない

 

 

だが、冥途に行くことが決まっている と 

 

肚を据えれば、あわてることはない。

 

 

人生ひたすら に向って進んでいく。

 

 

だからこそ、一分一秒を大切にして、

 

やるべきことを、やってしまう。

 


人生に「そのうち------はない。

 

「いずれまた------もない。

 

 

確実にあるのは 今日只今だけ であり、

 

その今日只今を、どう生きるかが 大事なのであります。



令和 2年 11月 1日              

        自然宗佛國寺 開山  こくけん もくらい 合掌


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円


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