水急にして月を流さず
いかに水の流れが急で激しくても、
月はそんな激流に流されることなく、
平然と水の上に影を落としている―――という意味の句です。
水の激しい流れは、
日々のさまざまな煩悩妄想になやまされている私たちの心です。
しかし、
それにもまったく動じない月の姿は、
私たちが本来もっている「仏性」(真実の自己)のことをいいます。
これは、自らの「仏性」が不動であることを表した言葉です。
私たちの毎日の生活は、
朝から晩までせかせかと 急流に流れる水のように、
あれを思い、これを考えながら生活しています。
そういう日常生活の中で、いろいろなことを思う、
その一念 一念に引きずり回されて 一生を送ってしまうのが常です。
しかし、私たちは、水が急流であっても、
それに流されない不動の「月」(仏性)をもっています。
それを「不動の心」ともいいます。
私たちが本来もっている「月」、不動の心を自覚し、
その不動の心を活用できるかどうかは、
私たち自身の心の置き所にかかっています。
仏教伝道協会(創立者 沼田恵範翁)発刊の
『みちしるべ――縁』の中で「水急にして月を流さず」について、
次のような逸話が紹介されています。
要約しておつたえします。
朝日新聞主筆・緒方竹虎
昭和十一年(一九三六)二月二十六日早朝、陸軍青年将校らが決起した 「二・二六事件」の時、
朝日新聞主筆・緒方竹虎は 襲撃部隊に対して、
「よし、俺が会おう」と決意しながらも、
心の動揺するのをどうにも抑えることができなかった。
階下へおりるエレべーターの扉があいて、
乗務員の菊池滋子という若い女性が 「どうぞ」と彼を迎えたとき、
緒方 と 彼女の視線が合った。
その瞬間、彼は大きな感動を覚えた。
だれも想像しなかったこの異常事態に、
菊池滋子は少しも取り乱すところなく、
従容としてハンドルを手に 任務についている。
たとえエレベーター乗務員という小さな業務であっても、
「私は 新聞社で働いている人間である」という 決意 と 使命感が、
うら若い彼女の眉宇に みなぎっているのを、緒方は痛いほど感じた。
この時、はじめて緒方は、どっしりと腹が据わったという。
そして、将校とも落ち着いて対話を交わし、対応の処置も誤らずにすんだ。
後日、緒方と会見した将校 中岡基明は、獄中で、
「朝日新聞の論調はけしからんが、緒方竹虎はえらい奴だ」 と嘆声を洩らしたという。
この一事だけでも、緒方の応対ぶりが、
いかに沈着であったかが、想像される。
しかし、彼は当時のことをいわれる度に、
「いや、えらかったのは あのときのエレベーター乗務員の菊池滋子だ。
私は彼女に教えられたのだ」と、謹厳な面持で語ったという―――。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で 国内経済は深刻な打撃をうけ、
それに伴う倒産、失業、不安等々、この先の見通しの立たない混迷の状況下で、
私の心に深く刻み込まれたのが、
上記の菊池滋子さんの態度です。
大の男でも ひるむような恐ろしい流れの中で、
その流に 静かな月影を映して少しもひるまず、
揺るがない ということは容易ではありません。
人の一生では、いつ、何が起こるかわからない。
そのような場合でも 常に最悪の事態を想定して準備し、
心の用意ができていれば、
イザ という時に 至っても、
あわてずに対処することができるでしょう。
古 歌
のがるまじ 所をかねて 思ひきれ
時にいたりて すずしかるべし
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日に掲載。
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感謝合掌 住持職:釈 妙円
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