清 風 明 月
「風月」といえば 大自然を代表するもので、
禅では皓々と照る 明月は 仏性の輝きにたとえられ、
風は その徳 や 仏の説法 などにたとえられます。
清風明月の清風は 心地よいさわやかな風、明月は清く澄み渡った月で、
陰暦八月十五日の名月、または九月十三夜の月を指します。
この句は、実に 心中一点のくもりのない境地をたとえたもので、
禅では、これを自己本具 の 仏性の徳 とも名づけています。
また、これを自性清浄心(人が 本来具えている 清らかな汚れのない心)ともいいます。
清風明月は、そのような 禅的な意味をもっていますが
通俗的には、「純心無垢な人間性」を現わしています。
仏性の普遍性について、『碧巌録』(第六則)に、
「誰家無明月清風」(誰が家にか明月清風無からん) という禅語があります。
これは 貴賤貧富の別なく、
どの家にも 同じ明月が宿り、
清風 が 吹き来るという意味ですが、
仏性は、万人に等しく具っていることを現わしています。
また、「明月清風無尽蔵」といって、
この 仏性の徳 が 無尽蔵になって 自己性中 におさまり、
また 無尽蔵になって 万縁万境に応じて、
仏性の徳 があらわれてくる といっています。
これは、仏性 が
森羅万象(宇宙に存在する、すべてのもの)を 包蔵して
尽きることのない 広大無辺の徳 を現わしています。
仏性が 森羅万象 に偏在することを
「悉有仏性」(悉く仏性あり)といっていますが、
これは 人間だけに 存在するのではなく、
天地間の物すべて 仏性を具えている という意味です。
仏性が森羅万象に 宿在しているというよりは、
むしろ 森羅万象 が 仏性そのものである と感得するのが 禅仏法であります。
山河を見るは、仏性を見るなり。(道元禅師)
南浦紹明 禅師
山河大地、草木樹林、目に触れ耳に聴くもの、
公案ならずということなし。(南浦紹明禅師)
「公案」は、禅の命題ともいうべきもので、 参禅者に出す課題をいいます。
山河大地、草木樹林、私たちの周囲にあるものは、
みな禅の公案でないものは 一つもない。
自然のたたずまいが、
そのまま真理を説いている事実に 目覚める―――
これが 禅的生き方 であります。
二宮尊徳 座像(報徳博物館蔵)
二宮尊徳翁の歌に、
声もなく 香もなく つねに、天地は 書かざる経を くり返しつつ
とありますが、
この天地万物 の お経に
心をぴったりあわせていると、
明月は 皓々とくまなく照らし、
清風が 颯々と吹きすぎるという、
なんと すがすがしい秋の夜の風情そのままが、すばらしい公案になります。
森羅万象そのものが 仏光明で公案にあふれています。
むずかしい文字に こだわることはない。
自分の心が、どれほど仏の声をとらえられるか が問題なのです。
人生をどう見るか、
その視点が しっかりしていれば、
何を見ても、何を聞いても、
真髄 を ぴたりととらえることができます。
峰の色 谷の響きも みなながら
わが釈迦牟尼の声と姿と
(道元禅師)
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日に掲載。
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感謝合掌 住持職:釈 妙円
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