一雨 千山 を 潤す
「一雨潤千山」ひとしきりの雨があらゆるものを、
何ものも区別なく、ひとしくうるおしている という意味です。
連日の旱天で 山も野も カラカラに乾あがり、
人間も 鳥獣も 草木も 皆ぐったりし、
水を欲しがっていたところに、
恵みの雨が 沛然と降りそそぎ、
万物 ことごとく蘇り、生色を取りもどす――
旱天の慈雨を形容し、かつ、たたえる句です。
禅者は、
この句を
単に自然現象としての旱天の慈雨とのみ捉えるのではなく、
法雨とその恩恵とをこの句に託しています。
「甘露の法雨をそそぎ、煩悩の焔を滅除す」(観音経)⋯――
私たち人間というものは
畢竟するに
有限なもの・相対的なもの・不完全な いたらぬものです。
しかも、そうでありながら
無限絶対でありたい、
完全円満でありたい と 願わずにおられないのが、
人間の 人間たる 本質ではないかとおもいます。
能力の有限 と 欲望の無限、
現実の相対 と 理想の絶対、
そこに生ずる満たされがたい永遠の渇き、
これが
人間の四苦八苦の根源です。
釈尊は、この苦の問題を解決し、
有限絶対の身でありながら
無限絶対に超入する たしかな道を開示し、
人間の永遠の渇きをいやす 甘露の法雨を降らしたのです。
心をうるおす―――
人間をはじめ 生きとし生けるすべてのもの が成長するには、
光熱と水が必要です。
人の心も光り輝く智慧 だけでなく、やさしいうるおいが欠かせません。
「うるおい」は、いたわり 思いやりある 慈悲の心で、
渇いた私たちの心を しっとりと落ちつけてくれます。
不透明な時代、不確実な時代といわれる現代社会に生きる
私たちの心は 渇ききって、
心の大地は 乾燥し 亀裂が縦横に入っています。
この心地に 水分を与える法雨が、釈尊の根本仏法(釈尊の人間教育学)です。
釈尊の教え と 縁がなくとも、
人間本来の素直な心 で 自然に親しんでいると、
心は自然に和み、自然の声がきこえてきます。
さらに 私たちの心のはたらきが、こまやかになっていくと、
自然のたたずまいから 何かを感じ、何かが見え、
自然の姿から 自分の生き方の示唆 を 感得することができるようになってきます。
これを禅では「無情説法」をきくといいます。
「無情」は 思いやり、いたわりの心がない ことではなく、
人間のような 感情や意識を持たない と思われる 山川草木のことをいいます。
この無情の存在が 私たちに説法するわけはないが、
山川草木が示す 無言の法(真理)の相から、
その法を 私たちが自分の心で うなずきとるのです。
道元禅師 が
峰の色 谷の響きも みなながら
わが釈迦牟尼の 声と姿と
と詠じています。
「山のたたずまいも、谷川の流れの音も、すべて釈尊の声と姿とに外ならない」と。
道元禅師の詠ずる釈尊は、
肉身の釈尊ではなく、
釈尊が 悟られた真理(法)を人格化した法身です。
山川草木、
つまり無情の存在は、
釈尊が悟られた法の姿と声であります。
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日に掲載。
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感謝合掌 住持職:釈 妙円
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