年賀状「百々千々万々年」



百々千々万々年


百々(ひゃくひゃく)千々(せんせん)万々(まんまん)(ねん)

 

いつまでも平和な御代がつづき 

 

人々が安泰でありますように



一年の計は 元旦にあり


人生をどう生きていくかを

確りと掴んで出発すれば、迷うことはありません。

 

迷いだすと

百年は何一つ成すところなく終ってしまいます。

 

心を決めて進めば、

一年でも、大きな成果をあげることができます。

 

ところが、

年の始めに
「今年こそは」

 

一年の計画を立ててはみるものの、

なかなか実行することは難しいものです。

 

今日こそは

この一週間こそはと

次々と決心はするのですが、

 

明日がある、

来週があるからと


つい決心がにぶり、

実行せずに先送りしてしまいます。


生きる に 価する価値


一日の時間

 

誰にでも平等に与えられていますが、

 

時間を有効に使う人 と 無駄にしている人とでは、

 

一生で 

ずいぶん差がついてしまいます。

 

そこで、

私たちは生きるに価する価値とは

 

何か を考える必要があるのですが、

 

日々の雑事にかまけて

なかなか 真に価値ある生き方ができません。



『近思録』の法治篇に

 

一年は 一年の工夫あり」

(一年三百六十五日、思慮をめぐらせて、一歩一歩着実に進歩するように)

という意味の言葉が見えます。

 

仏教では、

正月 願いを起こす月

発願月(ほつがんづき)といいます。

 

正月 ただす月 というように、

 

今までの間違いを正して

 

願いを起こす のが

 

正月の意味であります。

 

 

寺院では、正月の法会(ほうえ)を

「修正会」(しゅしょうえ)というように

 

修正(しゅうせい)するということがないと

 

 正しい計画は立てられません。

 

今までの自分の生き方を

振り返り反省する心

何よりも大切なのです。

 

同時に、

悔いのない一年を過ごすためには、

 

やはり

生命には限りがあるということを

自覚することが肝要であります。  


人生の目標
誰でも持ち、

考えることができますが、

 

今、私たちに欠けているのは、

 

その目標を実行する

決意 工夫であります。

 

昨今、一度の失敗で簡単に挫折し、

仕事を投げ出してしまい、

 

七転び八起きの精神

目標に向って

繰り返し挑戦しない

という傾向がみられます。

 

 


お金が儲かるとか、

どの学校、

どの大会社に入ったかなど

 

結果優先の社会の中で

 

地道に努力する大切さ

 

工夫する楽しみ

 

を失いつつあるように思えます。

 

 時代の先端をゆく企業社会においても、

 

利益優先と開発競争の中で

失ってきているものの大きさに

一部の人は気づきつつあります。

 

しかし、

大部分の人は機械や数字に振り回されて、

 

本来の自分を見失って右往左往しているように思えます。

 

 

今、私たちに必要なのは

 

人間としての強さ

 

生きるに価する価値とは何かを見抜く

 

「智慧」ではないのでしょうか。 

 



今、もっとも、求められる人間


今、もっとも、求められる人間は、

 

自分の目で物を見、

 

自分の頭で考え、

 

自分の全身心で工夫する

 

訓練のできている人であります。

 

 

小器用で仕事をそつなくこなす、

真似が上手で

社会の動きに敏感なことが良かった時代は

過ぎ去ろうとしています。

 

これからは、

 

その人しかない個性

 

生きるに価する価値に目覚めた

 

人間力ある人材が求められる時代です。

 


人は、たゆまぬ訓練

 

工夫を積み重ねていく中で、

 

始めて大事なことが見えてくるのです。

 

 

智慧

繰り返しの中で

磨かれ発揮されます。

 

智慧の伴わない真似事は

 一時しのぎの小手先だけのものになってしまい、

結局は身につきません。


千里の道も一歩から―――


一年の始めに、

まず、どんな些細なことでもよいから、

 

「自分はこれだけはやるぞ」

 

という実行可能な計画を立て、

 

それを

自分自身に誓い、

 

自分にできそうなことから実行する

 

――千里の行も足下より始る。
 
       

 

新鮮な気分 の 年の始めは、

 

その絶好の機会

 

となるに ちがいありません。


令和五年  元旦

宗教法人 自然宗佛國寺  

開 山  愚谷軒 黙雷
            住持職     釈      妙円