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4月の言葉



百花春至為誰開



百花(ひゃっか)(はる)(いた)って()(ため)にか(ひら)


この句は『(へき)巌録(がんろく)』第五則に出ている有名な語で、

春になって、百花の咲くのは、

 

誰のために咲くというのではなく、

百花爛漫(らんまん)なる所、

 

即ち、これ至道なり、大法なり、

 

自己の表現である

 

という意味です。


  春が来た、春が来た、どこに来た  

 

山に来た 里に来た 野にも来た

 

花が咲く 花が咲く どこに咲く

 

山に咲く 里に咲く 野にも咲く

 



春ともなると、百花は一斉にけんを競って咲き乱れます。

 

人跡まれな山深い所に、野辺に、川辺に、庭の片隅に、路傍にも咲きます。

いったい花は なんのために咲くのだろうか。

いうまでもなく、

 

誰のためでもなく、また誰にみせようとしているわけでもない。

ただ 本然の自性のままに咲いているのです。

 

自分の全生命を 遺憾無く発揮して

 

精一杯に自分の花を咲かせているのです。


さらにこの一句を自分の生き方に置き換えて、

次のように解釈すると、その味わいがなお一層深まると思います。

 

花無心に咲き 今に生きる――― 

 

花は決して他の評価を期待したり、思惑を気にして咲くのではない。 

 

すべて本来身に具わった天分時節因縁を待って開花するだけのことです。 

 


人間も同じことで、

 

人々是道器(どうき)」といわれるように、     

 

人それぞれ個性や才能を持っていますが、それは他人のためではなく、 

 

その人その人に 与えられたかけがえのない天分です。 

 

その天分時節因縁を待って開き顕れるのです。 

 

 

ですから、人に評価されるとかされないとか、

 

そんなことをなんのかんのと思い煩らうことなく、 

 

自分の本領

 

持ち味をいかに発揮するか に 

 

心を砕くことが大切ではないかと思います。

 

 


周利槃特 の 生き方


昔、釈尊の教団に、周利槃しゅりはんどくという仏弟子がいました。


彼はひどい低能で自分の名も覚えられなくて、 いつも名札を背中に貼って托鉢をして歩いたそうです。

だから釈尊の教えなど体得できるはずがないと、彼は自分の愚かさを嘆いていました。

その周利槃特に、


釈尊は「心配することはない」と、一本の(ほうき)を与え

 

塵を払わん、垢を除かんと唱えながら、僧院の掃除をすることを教えました。

 

「塵を払わん、垢を除かん」―――愚かな周利槃特は何度も忘れそうになりながら、

 

釈尊に教えられた通り、その言葉を唱え、何年も黙々と掃除を続けました。


やがて、彼の全身心にしみ込んだその言葉は、

塵とは煩悩(心身をわずらわし悩ませる一切の妄念)の 塵 であり、

垢とは無明(むみょう)(真理に暗いこと。一切の迷妄・煩悩の根源)の  である。

 

仏法の修行とは、この塵 と を除くことだ体得することができました。

 

釈尊の教えを素直に信じて、愚直に黙々と実践した周利槃特は、

自分に執着し 自分を立てようとする無明の闇を破って、

真実を見抜く智慧開発(かいほつ)し、

 

ついに

神通(じんつう)(自由自在の活動能力)説法第一の阿羅漢(あらかん)(仏法修行の最高の段階に達した人)

となることができました。


愚かで頭が悪くとも、

 

それはそれなりの、

 

他の追随を許さない天分を持っており、

その天分は

 

ただ一筋の努力精進によって磨き出され開花するのです。

 

 

百花が冬の厳しい寒苦を経て春にほころぶように、

人間の持って生まれた天分も、

 

また努力精進という時節因縁を待って開き顕れるのです。

 


あれをみよ 深山(みやま)の桜 咲きにけり

 

真心つくせ 人知らずとも


平成31年 4月 1日

            自然宗佛國寺     開山  愚谷軒 黙雷


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年の修行からお伝えしています。

下記FB:自然宗佛國寺「今月の言葉」から、毎月1日掲載

 

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