水は竹辺より流れ出て冷く、 風は花裏より過ぎ来って香し
夏の茶席に、よく「水自竹辺流出冷」の軸物がかけられています。
この句は、春の茶席に掛けられる「風従花裏過来香」と対をなしている句です。
緑竹はみるからに清くさわやかなものである。
同じ水でもその竹林から流れ出てくる水は、
一段と冷ややかで清冽である。
また、同じ風でも、花の咲いている間を通り抜けてきた風には、
格別の芳香がある
―――という意味です。
宮 川 源 流 (佛國寺 前)
この対句は、自然のすばらしい妙味 を描きながら、
人 の 妙味 を説いています。
そういうことから
―――人が生きてゆくうえには、その接触するところの、
人間的、また社会的環境によって、
いつの間にかその風に感化されるものだというふうにも捉えられます。
また、人生の辛苦を経た者でないと、味わいがない―――とも解されています。
水も風も、もともと清らかであり、さわやかであるが、
よき環境を得て
一層磨きがくわわり 味わいがます 様子をいったものです。
自然のすばらしい光景をうたった句ですが、
この句の要点は、
物事にはすべて流れ出て来る元のところが
第一だということです。
例えば、「水は工場より流れ出て濁り、風は汚物より過ぎ来って臭し」⋯――
これは、私たちが日常経験するところの事実で、
今さら説明するまでもないと思います。
佛國寺 横 の 渓流(風呂谷)
つまり、
流れ出て来る元、
吹いてくる元
が 肝心だということです。
人間の心も まさにそのとおりで、
両親、兄弟はもとより、就いて学ぶ師の学徳の多少、
交わる友の善し悪し、
さらに日頃接触する環境の浄穢など、
総じてその経過するところの人間的、また社会的環境によって、
知らず知らずのうちに影響されるものです。
そして、そのことが、
その人の 人間形成を大きく左右することは事実といえるでしょう。
この対句は、この教訓を美しい自然に託して、譬喩的に説いたものです。
句を深く味わい、
その教訓を汲み取った上で、
茶席に掛けたら、一段と味わいがますものと思います
佛國寺前 の 竹林
水は 竹辺より 流れ出て冷く、
風は 花裏より 過ぎ来って香し。
令和元年 8月 1日
自然宗佛國寺 開山 愚谷軒 黙雷
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年の修行から お伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載。
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ありがたく感謝合掌しております。 住持職:釈 妙円
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