5)苦悩の本体は何か?


苦悩の本体 は 何か?


人間、

 

誰もが 

 

苦悩を抱えながら生きている―――

4)苦悩を超ゆる生き方」からのつづき


娑婆しゃば世界せかい忍土)にんど


えんあって、 

人間と生まれた以上、

 

私たちは当然 

 

他の動物よりも 

多く苦しまねばならぬ 

運命を有しています。 

 

ですから、

 

今さら 

とやかく愚痴をいってみた所で  

どうしょうも無いことであります。

 

佛行行脚     伊勢神宮~靖国神社 (平成27年7月10日-8月15日)


 仏法では、

 

この紅塵万丈・利害得失の渦巻く 

人間世界を 

 

娑婆世界といいます。 

 

娑婆しゃばとは、

 

訳して 

忍土・堪忍土・忍界 

 

即ち、

 

さまざまの煩悩から 

離脱できない衆生が、 

 

苦しみを耐え忍びながら生きる所 

 

という意味です。 

 

つまり、 

人生は 

 

本来において 

苦しい所であり、 

 

苦しい所だから 

 

忍受にんじゅしなくてはならぬと、

 

苦悩 

 

人間の必然的運命と見ています。

 


縁あって、 

 

幸か不幸か、 

 

娑婆世界

生を宿した私たちは、 

 

いかに 

この世を忌み嫌っても、

 

ある程度は 

すでに苦しむべく 

運命づけられています。

 

 

故に、 

苦悩

 

人間として、 

所詮しょせんまぬがれることのできない運命ならば、 

 

先ず、 

人生は 

 

根本的に苦悩を抱えて生きるもの

 

 と覚悟して、 

 

 

さらに進んで、 

 

この苦悩 

 

どう活かし 

 

どう善用するかの道を 

 

考える態度 

 

大切だと思います。

 


生きんとする欲望


苦悩を活かし 

 

善用するには、 

 

 

先ず、

 

苦悩の根本原因、 

 

言い換えれば、

 

「苦悩の本体」

 

 

何処にあるか 

 

 

知る必要がある――― 

 

 

これを

 

一言に尽くせば、 

 

 

「生きんとする欲望

 

 

にあります。

 


 

 

 

 

 

 

フリードリヒ・フォン・シラー

ドイツの詩人・劇作家のシラー(17591805)が、

 

哲学者が何と言っても、 

 

 世界の機械は 

 

 飢餓と恋愛によって動く 

 

 

といったように、 

 

 

人類の大多数は、

 

色気いろけくい 

 

二大本能で動かされており、

 

 

この本能 

 

あらゆる人間活動の 

 

源泉になっているといえます。 

 

 

 

俗語で 

 

「とかく浮世は色と欲」 

 

といいますが、

 

 

人間は表面上 

 

いかに綺麗事をいっても、

 

 

色気食気とを 

 

脱することはできません。 

 

 

色気とは、 

 

種族保存を目的とする 

 

性欲であり、 

 

 

食気とは、 

 

自己保存を目的とする 

 

食欲であります。 

 

 

では、 

この食欲 

何のためにあるのか――― 

 

それは言うまでもなく、

 

自分の肉体を保持する、

 

即ち、 

自己保存が目的です。 

 

 

生きとし生ける一切の生物 

 

を得なければ死にます。 

 

 

 

 

 

実に肉体を支える上において 

重要かくべからざる物であります。

 

 

 

性欲は、 

何のためにあるのか――― 

 

これは 

種族保存のためで、

 

 

自分の種を絶やさない事

 

 

 目的としています。

 


私たちの 

一個の身体は、 

 

によって保たれますが、 

 

 

無常むじょう迅速じんそくときひとたず」 

 

 

何時かは、 

 

無常の嵐とともに 

 

散り果てねばならぬ――― 

 

 

この娑婆世界 

生命をうけてから数十年間、

 

いかに健康であっても、 

 

いかに財産や名誉、地位を得ても、 

 

また 

いかに科学技術や 

医療が発達しても、 

 

止めることのできないものが 

 

時間である。 

 

 

歳月は 

刻一刻と流れ、 

 

一時いっときも待ってはくれない。 

 

 

時は 

 

人間の身体を老いへと導く。 

 

 

やがて老いの身となり、

 

病気に侵され、

 

人生と 

 

別れなければならない時を迎える――― 

 

 

そこで 

 

自己の生命 

 

のこさんとするには、 

 

 

生殖作用による 

 

種族保存が必要となります。

 


生活問題と 

 

恋愛問題との二つが、

 

人間社会での重点をなすのは、 

 

 

本能の上から見て 

 

当然のことですが、

 

 

何か 

色気とか食気とかいうと、

 

卑しいように 

聞こえるけれども、 

 

 

人間は 

 

この充足を得なければ、 

 

生活の安定はないといえます。 

 

 

宗教家や哲学者が、 

 

いかに高尚な理想を語るにしても、

 

生物的な

 

基本生活だけは

 

奪い去ることはできません。 

 

 

 

性欲の方は 

 

食欲にくらべると、 

 

年齢に制限があり、

 

また、 

 

欲求の程度も、 

それほど強烈ではありませんが、 

 

 

これも 

食欲についでの本能であるから、

 

なかなかおさえ難い力をもっています。 

 

否、 

 

時には 

食欲以上の強烈さをもって、 

 

あらわれることは、

 

新聞や週刊誌の 

記事を見てもわかるように、 

 

多くの悲劇が、

 

恋愛問題 

 

男女問題のもつれから生じています。

 

 

 

何はともあれ、 

 

食欲性欲の二大本能は、

 

本能中もっとも根源的なもので、

 

 

人間が生物である限り

 

この欲望から 

 

全く離れ去ることはできません。 

 


死にたくない 生きたい


6年間の苦行の最後に、激しい断食修行を成した釈尊の像。


生きとし生けるものは、

 

みなすべて

 

死なねばならぬ。(釈尊)


頭でわかっていても、

 

本能的

 

死にたくない 

 

生きたい――― 

 

 

この 

理論理屈を超えた、 

 

生きんとする欲望は、

 

 

人間の欲望の中で、

 

最も強大な欲望であって、 

 

 

仏法でいうところの

 

元品がんぽん無明むみょう

(諸々の煩悩の元始としての根本的無知)

 

であります。 

 

 

しかも、 

この欲望

 

あらゆるものの、 

 

根底となって、 

 

ここに 

 

幾多の副産物的欲望 

 

沸き起こってきます。 

 

 

つまり、 

 

所有欲 

 

名誉欲 

 

権勢欲等、 

 

 

みなこれ生命衝動の形を変えて 

 

現われたにすぎません。 

 

 

 

この点は 

 

誰でも 

 

自分の本能 

 

深く掘ってみれば  

 

直ちにわかると思います。

 


 赤子あかごが教えられもしないのに、 

乳をのむことを知っているのは、 

 

無意識ながらも、

 

生命欲のあらわれであります。 

 

 

さらに、 

青春期になると、

 

自然に 

異性を求める心が起こってきます。 

 

 

この二つは、

 

ほかの欲望よりも、 

根強い力をもっているのは、

 

本能的に 

 

生きんとする欲望 

 

直接のあらわれだからです。

 

 

 

しかし、 

他の動物のごとく、

 

ただ 

食欲性欲とをみたせば、 

 

それで満足できるものなら、

 

生活は 

すごく簡単にすまされますが、 

 

智能及び意識の発達している人間には、

 

 

同じ欲望をたすという中にも、

 

よりよきものによって 

 

充たそうとし、 

 

さらにまた 

 

その欲望 

 

他の動物にはない、 

 

名誉・地位・学問・芸術などといったような、 

 

生きることには 

 

直接必要のない欲望が、 

 

とどめもなく起こって来て、 

 

自然 

その欲望の不充足をもたらし、 

 

欲望の不充足 

 

苦悩となってあらわれます。 

 

 

 

 

前述の如く考察すると、 

 

その内容にはいろいろあっても、 

 

根本的に追究して見ると、 

 

生きんとする欲望 

 

その本源があり、 

 

 

しかも、 

その欲望が土台となって、 

 

第二、第三の欲望を生じ、 

 

 

それがみたされない時に、 

 

苦悩を感じることになります。

 


これを他面から考えてみると、

 

楽しみということも 

 

またこの欲望から生ずるもので、

 

 

欲望のない所には 

 

楽しみは起こりません。 

 

 

 

何故ならば、

 

私たちが 

 

日常体験するところの楽しみは、

 

 

如何なる場合に 

 

感じるかというと、

 

何時でも 

 

何かの欲望を充たした時に感じるもので、 

 

 

 

雨や雲、 

 

雪や風、 

 

また、草木を育てる土の如き 

 

無欲なものには、 

 

楽しみの感情はない――― 

 

 

 

だから、 

 

苦悩 

 

私たちの欲望から起こって来ることは


否みがたい事実です。 

 

 


このように考えると、 

 

人間の抱える苦悩 

 

まった脱却だっきゃくせんとするには、 

 

 

生きんとする欲望の否定、

 

 

言葉を換えれば、

 

生命を断絶するしかない。 

 

 

 

何故ならば、 

 

生きる者には欲望があり、

 

 

欲望があれば 

 

それを充たそうとし、

 

充たそうとして充たされればよいが、 

 

 

現実は、

 

それが 

 

全部充たされないようにできている。 

 

 

そこで、 

 

欲望の不充足 

 

苦悩となり、 

 

 

苦悩を除かんと思えば、 

 

欲望を無くする必要があり、 

 

 

欲望を無くするには、

 

その根本たる生命 

 

否定しなくてはならない。 

 

 

ここに 

 

苦悩の完全解決は、 

 

結局、 

 

死を以てするより他に道がない

 

ことになります。 

 

 

 

だが、 

 

それは出来ない相談です。 

 

 

 

では 

 

如何したらよいか?    

 

 

「6)欲望を活かして善用する」につづく

平成29年2月4日

 

         自然宗佛國寺 開山  愚谷軒 黙雷(もくらい)


次号)欲望を活かして善用するは、


平成30年5月19日(第三土曜)の予定です。


自然宗佛國寺・開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年、下座行(路上坐禅)50年から「仏法は苦悩を超ゆる妙薬」を、

長期連載でお伝えいたします。


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