第二話 菩提樹下のさとり(通算No.28)


釈尊とともに歩む


行脚55年―――

一笠一杖の乞食(こつじき)雲水として全国各地を遊行し、

日本の仏教各宗派の門を叩き教えを乞うて感得したことは、

 

仏法の根本である 仏祖釈尊の原点に帰り、

釈尊の原点に立って、釈尊とともに歩む」であった。

 

 


菩提樹下のさとり


一切衆生悉く 仏性有り

煩悩覆うが故に 不知不見

 

             (釈尊)


前正覚山

――成道を得る場所を求めて――


 

インドでは、

今日でもなお

絶対の安心を得るためには、

 

肉体の死後でなければならない

とする考え方があり、

いろいろな苦行が続けられています。

 

釈尊と同時代の紀元前5~6世紀頃、

インドの地で生まれたジャイナ教は、

苦行を最高の理想とし、

 

その教祖・マハーヴィーラの、

すぐれた弟子11人中の9人までが、

断食によって生命を絶ち

 

それによって、

最高の解脱(この世のすべての煩悩から解放された、

迷いから抜け出て、真の自由の境地に達すること)

を得たとされている―――が、

 

それでは、

いったい何のための苦行であるか、

わからないことになる。

 

私たちは、

肉体と精神をそなえているこの身体で、

 

しかも、

現世において

苦しみ悩みのない生活

得られなければ意味がない。

 

肉体の無い

精神だけの生活とか、

 

肉体の死後の生活とかいうものが、

 

実際あるかどうか、

それはわからないし、

 

たとえあったとしても、

それは現世、

即ち、

今、ここに

生きて存在している

私たちには無関係な世界である。

 

かりに、

肉体を離れた

心霊的な世界

 

また、

死後に苦悩のない理想の世界が

あったとしても、

 

それは、

現世の私たちの不安や苦悩の

解決には役だたない―――。

「第一話」からのつづき

 

 

前正覚山

釈尊が悟りを開くために坐禅を組まれたという洞窟

山の中腹にあり、ここは「りゅう影窟えいくつ」と呼ばれていて、 

多くの人々が参詣に訪れていた。


 

 

ところで、昨今、

よく、スピリチュアルという

外来語を耳にして

思い起こすことがある。

 

・それは、

私が全国行脚七年有半(「森の和尚からの手紙」三、第四話)―――

の行中のことだが、

 

俳優の丹波哲郎氏の映画『大霊界』

超能力、オカルト現象談が

テレビや雑誌等に取り上げられて、

 

世間の話題となり、

日常生活の中で

 

精神的な不安

 

人間関係の不安

 

健康に関する不安等々を抱えて、

 

悩み、苦しみ、迷っている人々の

心を惑わしていた。

 

 

・これら、

上述の芸能人や映画、 

テレビ、雑誌関係者の心無(こころな)い行為が、

オカルト・ブームに火を付け

 

そういう社会的風潮のなかで、

 

人々の心に恐怖を惹起させる

不安産業、脅迫産業としての

宗教産業が世に蔓延した。

 

そして、

全国各地で

人々の不安、苦悩の逃げ込む場としての、

ミニ・オカルト教団が繁盛しているのを

 

行脚中に

この目で見たり、

ミニ教団の教祖の話しも聞いたりして、

僧侶の怠慢を反省しました。

 

 

また、

平成8326日から21日間、

自治省、警察庁の協力を得て、

 

山梨県上九一色村の

オウム真理教団の第6サティアン前の

溶岩石がゴロゴロころがる大地に

黙然大坐しながら

オウム信者を観察し、

 

オカルト

世の中に害毒を流す 

恐ろしさを実感することができました。

 

 


 

 

皆様も記憶に残っている

オウム真理教団の

地下鉄サリン事件後、

 

オカルト・ブームは

下火になり影をひそめているかのようにみえたが、

 

此の処、

またぞろ頭をもたげてきたので、

 

第九話――霊魂の有無』と題して

「森の和尚からの手紙」を書きました。

 

 

さらに

私がオカルト・ブームの再来を危惧していると、

大手新聞社が月刊誌の特別号で、

別冊『霊性・霊界ガイド』を発刊―――

執筆者は

著名な宗教家、学者、作家、芸能人であった。

 

 

思うに―――

社会的に大きな影響力をもっている

著名人が

安易に 

霊言・霊性・霊界を云々するのは、

あまりいいことではない。

 

 


 

記憶をたどると、

20数年前、

テレビの報道番組で

オウム真理教団の選挙活動がながされたり、

 

雑誌で麻原彰晃(本命・松本智津夫死刑囚)が

空中を浮遊するという記事を目にした記憶がある。

 

また、

当時、芸能人の中には、

麻原彰晃と対談した人もあったように思う。

 

そして、

今また、

マスコミや芸能人、

宗教家、学者、作家等が

そのあやまちを繰り返そうとしている

ように思えてならない。

 

・願わくは、

22年前の平成7年3月20日午前8時頃におきた、

オウム真理教団の地下鉄サリン事件

思い起こしいただきたい。

 

私は、この時、

農林水産省の事務次官や

農山村振興対策部局の担当審議官、課長と

差しで話し合うため

 

午前9時過ぎに、

地下鉄霞ヶ関駅で降りたところ、

駅の構内も、外も騒然としていた。

 

まさか

テロ事件とは思わないで、

何だろうと思いながら

農水省に入った。

 

後日わかったことだが、

オウム真理教団が

引き起こした無差別テロ事件で、

死亡13人、重軽傷6,000人以上という

大惨事であった。

・オウム真理教団が

地下鉄5車両に

猛毒のサリンをまいた

残酷無慈悲

「地下鉄サリン事件」 から22年―――

 

事件の衝撃や教訓が風化していくなか、

ふたたびオカルト・ブーム

火を付けるような行為は

 

慎んでいただきたい

と願ってやまない。

 

 

 


寸話

パワー・スポットは、自己の心中にあり


 

 

 

 

 

 

 

東海道を行脚中

平成27年7月10日~8月15日

 

平成277月から8月にかけて

東海道行脚中のこと、

 

由緒ある神社の境内の

木陰で休んでいると、

 

若い女性たちから

 

「一緒に写真を撮らして下さい」

 

とたのまれたので、

笑顔で合掌しながら承諾。

 

彼女たちは、

一笠一杖の雲水姿が

よほどめずらしいのか、

 

現代子らしく

あれやこれや質問してくるなかで、

 

「パワー・スポット」巡りをしている

 

グループだとわかった。

 

そこで

 

パワー・スポットは、

 

 霊山・霊場(神社仏閣)にあるのではなく、

 

貴女の心中にある

 

‐‐‐‐‐それを見つけることが大切だ

 

と話して別れたが、

 

 

彼女たちが

オカルトの予備軍にならねばよいがと思い、

パワー・スポットの風潮

危惧を抱かざるをえなかった。

 

 


一大事

 

―――現世で生身の身体

生きている私たちの

一大事は、

 

「今、目の前の今」

 

安心立命(あんじんりゅうみょう)であって

 

肉体をはなれた

霊界のハッピー世界ではない。

 

死後の極楽世界でもない。

 

オカルトの妄想世界でもない――――

 

死後に

いかなる理想世界があったとしても、

 

それは、

今日只今、

生きて存在している私たち

不安や苦悩を解決してくれる

妙薬とはなりえない

 

――――私はそう思う。

 

 


正覚の座に向かって


 

 

『第一話』苦行では悟れない(通算No.27)―――

で述べたように、

 

釈尊は、

苦行をしても、

いっこうに効果が得られないので、

 

身体を苦しめることは、

けっして

心を平安導くものではないことをさとり、

6年間の苦行生活を放棄された。

 

そして、

セーナ村の娘・スジャータ―の

乳粥の供養で

体力を回復された釈尊は、

 

悟りを得る場所を求めて、

前正覚山に向かわれた。

 

 


 

 

前正覚山は、

スジャータ―のセーナ村から見える

標高150メートルほどの岩山で

 

徒歩で2時間以上の行程だそうですが、

今は悪路ながら自動車が通れる車道が整備され、

容易に訪れることができるようになった。

 

釈尊が悟りを開くために

坐禅を組まれたという洞窟は

 

山の中腹にあり、

ここは「(りゅう)影窟(えいくつ)」と呼ばれていて、

多くの人々が参詣に訪れていました。

 

 

石窟の中は暗闇でしたが、

眼がなれてくると

ぼんやり釈尊の苦行像

ヒンドゥー教の二体の神像が

祀られているのがみえてきて、

 

何か厳粛な雰囲気につつまれるなかで、

真理を求めて坐る

釈尊を偲びました。

 

 


 

仏伝によると、

天空から龍が

 

「ここは如来の正覚成就されるところではありません。

 この地より西南14~15里(中国の里程)、

 苦行林から遠からぬところに、

 ピッパラ樹が繁り、

 

 その下に

 金剛座(悟りを開く堅固な禅定の座)があります。

 

 過去の諸仏は皆

 その座において

 正覚を成就されたのですから、

 

 願わくば

 どうか

 そこにお出まし下さい‐‐‐‐」

 

と申し出たので、

 

釈尊は、

それに従って

山をくだり

ピッパラ樹の下に行かれた。

 

 

以来、

この山を前正覚山と称するようになった

―――と記されています。

 

 


降魔(ごうま)成道(じょうどう)

―煩悩魔の誘惑に打ち克つー


 

 

 

 

 

 

 

降魔成道像
「ゴーダマの渡し」にて)

 

前正覚山を下山された釈尊は、

 

人生苦の真理を究め

正しい悟り()る場所を求めて、

 

およそ7キロほど西南を流れる

尼蓮禅河の(ほとり)

 

苦行林の近くにそびえる

ピッパラ樹へ向かわれた。

 

 


 

釈尊は、

尼蓮禅河の流れで身を浄め、

 

途中で出会った農夫から

河畔に群生する

柔らかく、しなやかな青草クシャ草(吉祥(きちじょう)(そう))をもらい受け、

 

ピッパラ樹の下に、

草のしとねを敷いて

 

「われよく煩悩を滅し尽くすことを

()るまでは、

(かな)らずこの坐を解かじ」

 

という、

非常に大きな不動の決意を持って坐られた。

 

 


 

 

 

 

 

 

 


菩提樹に参詣する人々


 

 

皆様もご存知の通り

 

釈尊がピッパラ樹の下で

 

「菩提」

 

即ち、「さとり」を成就されたので、

 

このピッパラ樹を

「ボディ・ルッカ」と呼び

 

漢訳して

 

「菩提樹」と訳されています。

 

 

 


煩悩魔との対決


 

 

釈尊が樹下で禅定に入ると、

 

さまざまな悪魔、

即ち、

煩悩魔の誘惑にあい、

 

しかも

それによく打ち克った

仏典にあります。

 

煩悩魔は

釈尊の悟りが完成し、

 

真の教え

この世に出現すれば、

 

それだけ煩悩魔の勢力は衰えるので、

何とか釈尊の悟りを

妨げようとします。

 

そして、

煩悩魔軍の総大将は眷属(けんぞく)を引き連れ、

刀や槍や弓の武器を持って

釈尊に襲いかかってきました。

 

煩悩妄想のもろもろの眷属や

刀や槍や弓などの数々の武器は、

 

人間が本質的に抱えている

煩悩妄想

ご理解下さい。

 

 

 

煩悩妄像とは、

有無・得失・貴賤・貧富・賢愚

・美醜・愛憎・苦楽・生死などというように、

 

ものを二つに分けて

相対的に見ようとする分別心

 

そして、

その一方を嫌悪(けんお)

 

一方を欣求(ごんぐ)しようとする執着心

 

それらを煩悩妄想といいます。

 

 


 

 

この煩悩魔と

釈尊との戦いの情景を

 

原始仏典『相応部』(サンユッタニカ―ヤ・Sam()yatta-nika()ya

の「第四・悪魔相応」をかりて描写すると―――

 

釈尊は、

独坐静観のうちに

このように思った。

 

「ああ、私はかの苦行より離れた。 

 なんらの利をもたらすことなき、 

 苦行を離れたことは 

 ()いことであった。」

 

すると、その時、

 

煩悩魔軍の総大将は、

釈尊の前にあらわれて、

 

「苦行を修しつづければこそ、

 若き人々は

 清められるのである。

 

 (きよ)き道をさまよい離れて、

 浄からずして、

 なんじは清しと思う」と言った。

 

 

だが、

釈尊は甘言を(ろう)して誘惑する

煩悩魔に向かって答えて言った。

 

「陸にあげられし舟の()()は、

 何の利ももたらすことがない。

 

 不死を願うに

 苦行をもってするも、

また何らの利あることなしと知る。

 

われは、

(かい)(じょう)()とをもて、

 

この菩提(自覚)の道をおさめ、

 

上なき清浄にいたりついた。

 

破壊者よ、

なんじは敗れたのである」

 

かくて煩悩魔は、

 

「世尊はすでに

 われ(自己)を知りたもう」

 

として、

苦しみ、しおれて、

 

その姿を没したという。

 

 


 

 

釈尊は、

煩悩魔との戦いに打ち勝って、

 

ついに

35歳の128日(漢訳仏典の伝える月と日)、

東天に輝く暁の明星を

一見した瞬間、

 

「この上もなき最高の悟り」

無上(むじょう)(しょう)(とう)菩提(ぼだい)

 

に達せられた。

 

 

 

その時の感激に思わず

 

()なる(かな)、奇なる哉、 

 一切衆生皆悉く 

如来の智慧徳相を具有す。

 

但、妄想執着を以ての故に証得せず。」

 

と連呼し

讃嘆されたと伝えられています。

 

 

また、ある経典には

 

「一切衆生悉く仏性有り、

 

 煩悩覆うが故に不知不見」

 

とも記されています。

 

 

―――これを

 

『成道』

(菩薩が修行の末、悟りを開いて仏陀となること)

 

といいます。

 

 


 

 

しかも、

この悟りを開くに当たっては、

前述の煩悩魔軍との激しい戦いがありました。

 

即ち、

煩悩魔を降すことによって

 

悟りに到達できたのであって、

 

それ故に、

この二者をいっしょにして

 

 

降魔(ごうま)成道(じょうどう)

 

といいます。

 

 

 

 


 

ここで一考―――

 

たしかに

煩悩魔軍を打ち破って、

煩悩を除くことが

悟りには違いないが、

 

ただそれだけでは

十分とはいえないし、

 

また、

悟りが完成したとはいえない

 

‐‐‐‐‐それはどういうことか?

 

 

第三話(通算No.29)につづく 



平成29年4月1日

           宗教法人 自然宗佛國寺  開山 佛國寺 黙雷



自然宗佛國寺・開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年、下座行(路上坐禅)50年の修行のもと
連載でお伝えしています。