釈尊とともにあゆむ

釈尊とともにあゆむ · 20日 5月 2017
釈尊は後年、 「いかなるものでも  自分が行じたような  苦行をするものはない」 といっておられるが――― 苦行の結果、 釈尊は文字通り 骨と皮だけになり、 眼はくぼみ、 皮膚は黒くひからび、 がい骨のようになったという。 そして、 釈尊は苦行の空むなしさを知って 苦行を捨てた後、 菩提樹下で 「さとり*」を開かれ、 (さとり*=迷いを去って永遠普遍の真理に目覚めること) 私たち凡夫に 五欲煩悩、 即ち、 欲望を 解決する方法を 開示されました。

釈尊とともにあゆむ · 15日 4月 2017
<禅定で人生の苦が解消できるか> 私は 21日間断食行 (「森の和尚からの手紙」第五話・第六話 大死大活) を行じたが、 断食行や禅定では 人生の苦の問題を解決することは できないと知った。 行としての21日間断食行で、 何を体験し、 何を摑むかは、 人、様々だと思います。

釈尊とともにあゆむ · 01日 4月 2017
インドでは、 今日でもなお 絶対の安心を得るためには、 肉体の死後でなければならない とする考え方があり、 いろいろな苦行が続けられています。 釈尊と同時代の紀元前5~6世紀頃、 インドの地で生まれたジャイナ教は、 苦行を最高の理想とし、 その教祖・マハーヴィーラの、 すぐれた弟子11人中の9人までが、 断食によって生命を絶ち、 それによって、 最高の解脱(この世のすべての煩悩から解放された、 迷いから抜け出て、真の自由の境地に達すること) を得たとされている―――が、 それでは、 いったい何のための苦行であるか、 わからないことになる。 私たちは、 肉体と精神をそなえているこの身体で、しかも、 現世において 苦しみ悩みのない生活が 得られなければ意味がない。 肉体の無い 精神だけの生活とか、 肉体の死後の生活とかいうものが、 実際あるかどうか、 それはわからないし、 たとえあったとしても、 それは、 現世の私たちの不安や苦悩の 解決には役だたない―――。 「第一話」からのつづき

釈尊とともにあゆむ · 25日 3月 2017
行脚55年――― 一笠一杖の乞食こつじき雲水として 全国各地を遊行し、 日本の仏教各宗派の門を叩き教えを 乞うて感得したことは、 「仏法の根本である 仏祖釈尊の原点に帰り、釈尊の原点に立って、 釈尊とともに歩む」であった。 ーーーーーーーーーーーーーー 生きものの 噛みあう有様を見て、 少年のこころには、 早くも人生の苦悩が刻みつけられた。