釈尊とともにあゆむ

釈尊とともにあゆむ · 01日 4月 2017
インドでは、 今日でもなお 絶対の安心を得るためには、 肉体の死後でなければならない とする考え方があり、 いろいろな苦行が続けられています。 釈尊と同時代の紀元前5~6世紀頃、 インドの地で生まれたジャイナ教は、 苦行を最高の理想とし、 その教祖・マハーヴィーラの、 すぐれた弟子11人中の9人までが、 断食によって生命を絶ち、 それによって、 最高の解脱(この世のすべての煩悩から解放された、 迷いから抜け出て、真の自由の境地に達すること) を得たとされている―――が、 それでは、 いったい何のための苦行であるか、 わからないことになる。 私たちは、 肉体と精神をそなえているこの身体で、しかも、 現世において 苦しみ悩みのない生活が 得られなければ意味がない。 肉体の無い 精神だけの生活とか、 肉体の死後の生活とかいうものが、 実際あるかどうか、 それはわからないし、 たとえあったとしても、 それは、 現世の私たちの不安や苦悩の 解決には役だたない―――。 「第一話」からのつづき

釈尊とともにあゆむ · 25日 3月 2017
行脚55年――― 一笠一杖の乞食こつじき雲水として 全国各地を遊行し、 日本の仏教各宗派の門を叩き教えを 乞うて感得したことは、 「仏法の根本である 仏祖釈尊の原点に帰り、釈尊の原点に立って、 釈尊とともに歩む」であった。 ーーーーーーーーーーーーーー 生きものの 噛みあう有様を見て、 少年のこころには、 早くも人生の苦悩が刻みつけられた。