【仏心】今月の言葉 · 01日 7月 2019
この句は、 白隠禅師の『遠羅天金』の上巻「答鍋島摂州候近侍書」に出てくる句です。 この上巻は、延享五年(一七四八)に鍋島摂津守相直に答えたもので、 禅の修行法と内観法(白隠が白幽子に伝授された健康法)について述べ、殊に動中の工夫を説いたものです。
【仏心】今月の言葉 · 01日 6月 2019
この句は、臨済宗大慧派四世、宋の大川普済禅師(1179~1253)の 著述『五燈会元』にでてくる句で、 「今まで降っていた雨がからりと晴れあがり、 青山は青きが上にも青く、山上には白雲が流れている」 という自然の妙景をうたったものですが、 その意は、 「不動の本性を忘れ 徒に煩悩の雲に迷う」(柴山全慶『禅林句集』) ⋯――という深い意味を含んでいます。

【仏心】今月の言葉 · 01日 5月 2019
<5月の言葉>この句は、渓川の響きはこれ仏の説法、山の色これ仏の妙色身。蘇東坡(そとうば)が、悟った境地を詩にうたいあげ師の照覚常総禅師に呈したもの。蘇東坡(1036~1101)は、中国北宋時代の有名な詩人ですが、彼の詩の中に皇帝を謗ったものがあると讒訴され、五年におよぶ流謫生活の中で、禅に深く帰依し自己修養につとめました。 彼は減刑されて行動の自由を得るや、廬山東林寺の照覚常総禅師(1025~1091)に参じました。
【仏心】今月の言葉 · 01日 4月 2019
この句は『碧巌録』第五則に出ている有名な語で、春になって、百花の咲くのは、誰のために咲くというのではなく、百花爛漫なる所、即ち、これ至道なり、大法なり、自己の表現であるという意味です。

【仏心】今月の言葉 · 01日 3月 2019
桃は紅、李は白く、菜華は黄、春風に門著すれども、総て知らず ーーーーーーーーーーーーーーーーー 見渡せば、 山辺は紅くれないの桃の花が、 里辺には白い李すももの花が、 田畑には黄色い菜の花が咲き競い、 それぞれが千差万別の姿で春を謳歌おうかしている。
【仏心】今月の言葉 · 01日 2月 2019
一花開いて 天下春なり(一輪の梅花に、天下の春を知るなり)―――の句を口ずさむと、服部嵐雪の「梅一輪、一輪ほどの あたたかさ」 の俳句が思いうかんできます。

【仏心】今月の言葉 · 29日 1月 2019
「山河をみるは  仏性をみるなり」 床の間は、日本人だけが生み出した静寂の空間です。 とくに茶道では、床の間が重視され、 茶席では必ず仏語、中でも多くは禅語が掛けられます。 ところが茶掛の言葉はほとんど漢文で、 なんとか読めたとしても、その意味がわからない場合が多いものです。
【仏心】今月の言葉 · 01日 1月 2019
霜にたたかれ、雪に埋もれ、寒気にさらされ、苦難と試練に耐えぬき、 その千年の翠をいよいよ輝かせている老松の見事さ、その松の下で一人の老翁が花を楽しんでいる。

世俗的な人間の 欲望を活かして 善用する――― では、 どうしたら 苦悩の種となる 欲望を活かして 善用することが出来るか。 (第二十話からのつづき) 何か よい妙薬はあるのか? あります―――。 そこで、 これから申し述べることは、 行脚55年、下座行(路上坐禅)50年の体験から 身体で摑んだもので、 理論理屈の世界ではありません。 これは、 紅塵万丈・利害得失の渦巻く 娑婆世界で 何とか まともに生きたいと願望し、 俗世間にまみれた 煩悩深き凡僧が、 あちらに頭をぶつけ、 こちらに頭をぶつけながら 体得した、 踏まれても 踏まれても 立ち上がってくる 雑草禅ですから、 頭ではなく、 身体で 読んでいただければ 有り難く思います。
娑婆世界(忍土)縁あって、 人間と生まれた以上、 仏法では、 この紅塵万丈・利害得失の渦巻く 人間世界を 娑婆世界といいます。 娑婆(しゃば)とは、 訳して 忍土・堪忍土・忍界 即ち、 さまざまの煩悩から 離脱できない衆生が、 苦しみを耐え忍びながら生きる所 という意味です。 つまり、 人生は 本来において 苦しい所であり、 苦しい所だから 忍受にんじゅしなくてはならぬと、 苦悩を 人間の必然的運命と見ています。 私たちは当然 他の動物よりも 多く苦しまねばならぬ 運命を有しています。 ですから、 今さら とやかく愚痴をいってみた所で どうしょうも無いことであります。

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